加藤 喬
加藤ゼミナール代表・弁護士
青山学院大学法学部 卒業
慶應義塾大学法科大学院 修了
総合39位・労働法1位で司法試験合格
基本7科目・労働法・実務基礎科目の9科目を担当
司法試験では、不作為による殺人罪(不真正不作為犯)が頻出です。
出題頻度(司H22,司H26,司H30)からして、いつ出題されてもおかしくありません。
不作為による殺人罪のポイントは、次の通りです。
1⃣作為と不作為の区別
行為者が何らかの積極的行為にも及んでいる場合には、行為者の行為を作為と不作為どちらで捉えるべきかが問題となります。
ここで重要なのは、不作為という概念を正しく理解していることです。
不作為とは、何もしないことを意味せず、「期待された作為をしないこと」を意味します。
そのため、期待された作為をしないことと、何か別のことをすることとは両立し得ることとなります。
実行行為を作為・不作為のいずれで捉えるのかの判断においては、なぜ結果が発生したのか(結果の発生の原因が作為と不作為のいずれにあるか)が問題とされます。
例えば、病室で夫Vを看病していた甲が、夫Vの容体に異状が生じていたにもかかわらず、巡回に来た看護師乙に対して夫Vの容体に変化はない旨の虚言を述べ、乙による容体確認等を妨げたという事案では、甲が乙に対して虚言を述べたという積極的な行為は、Vの容体の異変を病院側に報告する(作為義務の内容)という期待された作為を行わない不作為の一環と捉えられることになります。
これに対し、甲がVの生命維持に必要な医療器具を外したという場合には、このような積極的行為は、Vの容体の異変を病院側に報告する(作為義務の内容)という期待された作為を行わない不作為の一環ではなく、V死亡に向けた因果の流れを惹起するものであり、作為として捉えられることになります。
<出題趣旨・採点実感>
” 第1 に、まず、甲が乙による巡回を妨害するなどの積極的な行為に及んでいるので、甲の行為を不作為、作為のいずれととらえるのかが問題となる。”(平成22年司法試験・出題の趣旨)。
2⃣実行行為として捉えるべき不作為の時間的範囲
不作為による殺人罪の事案では、殺人の故意(刑法38条1項本文)と条件関係が認められる時点における不作為を実行行為と捉える必要があります。ここを間違えると、答案で論理矛盾を起こすこととなり、大失点に繋がります。
まず、①故意は実行行為時に備わっていることを要するため、実行行為は故意を生じた時点以降の不作為に求めなければいけません。
次に、②殺人既遂罪の成立を認めるためには、少なくとも不作為と死亡結果との間に条件関係が必要です。不作為の条件関係とは、ある期待された作為がなされていたならば合理的な疑いを超える程度に確実に結果が回避されたといえる場合に認められるものであるため、結果回避の確実性が認められる時点までにおける不作為を実行行為と捉える必要があります。それよりも後の時点における不作為を実行行為と捉える場合、条件関係が認められないため、殺人既遂罪は成立せず、殺人未遂罪が成立し得るにとどまります。
このように、「殺人の故意を生じた時点」から「結果回避の確実性のあった時点」までの間における不作為を実行行為と捉えることになります。
例えば、1⃣における不作為の事例において、
という事実関係であった場合、甲がV殺害を決意した同日午後10時10分から、結果回避の確実性の認められる同日午後10時40分までの間における不作為を、殺人罪の実行行為として捉えることになります。
<出題趣旨・採点実感>
” 作為義務、救命可能性及び故意について、それぞれの時間的先後関係を意識して検討している答案…については、高い評価となった。”(平成26年司法試験・採点実感)。
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” 本問では、Vの救命可能性が認められるのは午後2時20分までであるから、それまでの間の作為義務及び故意の存否が重要であるのに、このような時間的関係を意識することなく、既に救命可能性が失われた時点で作為義務や故意を認めて不作為による殺人罪等の成立を肯定する答案…。”(平成26年司法試験・採点実感)。
3⃣不真正不作為犯の実行行為性
199条は、「人を殺した」と規定しているから、作為による殺人のみを予定しているかのように読めます。にもかかわらず、不作為が殺人罪の構成要件に該当し得るのか、これが、不真正不作為犯の実行行為性(あるいは、構成要件該当性)の問題です。
不真正不作為犯の実行行為性について、重視されているのは作為義務の有無に関する当てはめですから、抽象論を長々と論じるべきではありません。例えば、「実行行為とは、構成要件的結果を惹起する現実的危険性を有する行為であることを要するところ、不作為によってもかかる危険性を惹起することが可能であるから、不作為も実行行為たり得る。」という論述は、当たり前すぎることですし、不真正不作為犯の実行行為性を認める際の本質的な理由でもありませんから、書かなくていいです。
他方で、いかなる理由(刑法の自由保障機能や罪刑法定主義)と基準(作為義務と作為の可能性容易性)によって不真正不作為犯の実行行為性が認められる場合を絞り込むべきかについては、問題の本質部分ですから、ちゃんと論証する必要があります。特に、近年の司法試験の刑法は、事務処理型から論理重視型の問題にシフトしてきているので、重要論点における論証は丁寧に記述する必要があります。
不真正不作為犯の実行行為性において最も重要な要件は、作為義務です。
作為義務は、保証人的地位とも呼ばれるものであり、行為者に対して当該法益の保護が社会的に期待される場合に認められるものです。その発生根拠については、法令、契約、事務管理、条理、先行行為、排他的支配ないし支配領域性、保護の引受けなどがあるとして、多元的に理解されています。
作為義務の当てはめでは、こうした発生根拠にも着目しながら、具体的な事実を丁寧に分析して、行為者に対して被害者の生命の保護が社会的に期待される状態に至っていたといえるか否かを論じることになります。
<出題趣旨・採点実感>
” 授乳等をやめるという不作為に及んだ甲に殺人罪の実行行為性が認められるかを検討するに当たっては、作為義務、作為可能性といった不真正不作為犯の成立要件について見解を示し、その成立要件に事実関係を的確に当てはめる必要がある。”(平成26年司法試験・出題の趣旨)
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” 不作為による殺人罪又は保護責任者遺棄致死罪の成否を検討する場合には、作為義務ないし保証人的地位の発生根拠(基礎付け事情)に関する考え方を示すことが必要となるところ、作為義務の発生根拠については、多元的に理解するのが一般であり、法令、契約及び条理のほか、先行行為、事実上の引受け、排他的支配領域性に求めるなどの様々な考え方があり、それらを踏まえて自らの見解を明らかにすることになる。”(平成22年司法試験・出題の趣旨)。
4⃣不作為犯の実行行為の開始時期(≒「実行に着手」した時期)
不真正不作為犯の実行行為性とは、実行行為の前提要件にすぎないので、これとは別に、不作為による実行行為を認定する必要があります。その際、不作為には継続性があることから、未遂・既遂いずれの事案であっても、故意が生じた時点以降のどの時点で不作為犯の「実行に着手」したのかを明らかにする必要があります。
不作為犯では、既遂結果発生の現実的危険の惹起と作為義務違反の双方が認められるに至った時点で「実行に着手」が認められます。
危険発生が作為義務発生に先行している場合(結果発生の現実的危険がすでに発生しており、行為者の作為があればその危険を回避し得る場合)には、行為者が危険の存在を認識した時に作為義務が発生し、これに違反した時点で不作為犯の「実行に着手」が認められます。
これに対し、危険発生に作為義務発生が先行している場合(行為者の作為がないと結果発生の現実的危険が発生する場合)には、作為義務違反により既遂結果発生の現実的危険を生じさせた時点で不作為犯の「実行に着手」が認められます。
<出題趣旨・採点実感>
” 甲に殺人罪の実行行為性を認める場合、実行の着手時期、つまり、甲の不作為によってAの生命に対する現実的危険が生じた時期を、Aの体調の変化を挙げつつ認定する必要がある。”(平成26年司法試験・出題の趣旨)
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” 不作為犯の実行の着手時期についても、その判断基準を示した上で、本問において、甲が、乙が崖近くで転倒していることを認識しながら、乙の救助を行わないことを決意した時点、又は、その決意の表れとして本件駐車場から走り去った時点、あるいは、乙が崖下に転がり落ちて重傷を負った時点で、実行の着手を認めることができることを指摘する必要がある。”(平成30年司法試験・出題の趣旨)。
5⃣不作為犯の因果関係
因果関係が認められるためには、条件関係に加えて法的因果関係が認められることが必要です。
不作為犯の条件関係は、仮定的判断を要するため、ある期待された作為がなされていたならば合理的な疑い超える程度に確実に結果が回避されたといえる場合に認められると解されています。
判例(最三小決平成元年12月15日)は、「十中八、九…救命が可能であった。…そうすると、同女の救命は合理的な疑いを超える程度に確実であったと認められるから」と述べて、不作為犯の因果関係を認めているところ、これは不作為犯の条件関係に関する判示であると理解しています。
不作為犯の法的因果関係についても、作為犯と同様、危険の現実化説により判断されます。
「条件関係」と「危険の現実化」の関係については、両者を区別する考え(大塚裕司ほか「基本刑法 Ⅰ」第3版73頁以下)と、後者が前者の問題を包摂するとして「危険の現実化」で一元的に理解する考え(山口厚「刑法総論」第3版55頁・60~61頁)とがあります。
理論的には一元的な理解のほうが正しいと思われますが、条件関係に固有の問題(作為による結果回避可能性の問題)がある事案では、危険の現実化一本で処理しようとすると書きにくいので、条件関係→危険の現実化という流れで両者を区別して論じるべきです。
条件関係に固有の問題がない事案では、危険の現実化一本で処理することも可能ですが、それだと不作為犯の条件関係に関する判例(最三小決平成元年12月15日)に言及することができず、検討事項を落とすことになりかねないので、やはり条件関係→危険の現実化という流れで両者を区別して論じるのが無難です。
<出題趣旨・採点実感>
” 甲の不作為とVの死亡という結果との間の因果関係について、不作為犯の特殊性を踏まえつつ、事例に即して論ずることになる。”(平成22年司法試験・出題の趣旨)
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” 因果関係の有無を判断するに当たっては危険の現実化という要素を考慮するという見解を示しているものの、当てはめにおいて、危険と結果のいずれについても具体的に捉えていない答案…。”(平成26年司法試験・採点実感)。
6⃣殺人罪の故意
当てはめでは、認識と認容を区別した上で、行為者の心理状態に関する問題文の記述を答案で摘示・評価して、故意の存否を認定します。
不作為の事案では、殺人の認識と認容の時点が異なることもある(司H22)ため、殺人の故意が争点となる場合には、どの時点で殺人の認識が生じ、どの時点で殺人の認容も生じたのかを丁寧に論じることになります。
作為犯の場合、構成要件該当事実の認識がありながら自らの意思で構成要件的行為に及んだことにより構成要件の実現を受容した(あるいは、結果発生について意を介していない)といえるため、少なくとも犯罪の成否のレベルでは、故意の問題は認識の問題にほぼ収斂されます(勿論、犯情レベルのこととしては、認容の態様まで問題となります。)。したがって、少なくとも司法試験においては、作為犯の故意の認定では、実行行為の危険性及び結果発生の蓋然性の認識が中心的な検討対象となることがほとんどです。
これに対し、不作為犯の場合は、不作為の危険性(被害者の容体の異変など)についての認識はあるものの、不作為を継続するかどうか(期待された作為に出るかどうか)を迷っている間に時間の経過とともに結果回避可能性が低下していくため、どの時点で「認識」が生じ、どの段階で「認容」したのか(因果関係を肯定できるだけの結果回避の確実性がある段階で「認容」したといえるか)が問題になることが多いです。
<出題趣旨・採点実感>
” 甲に対して不作為による殺人罪の成立を肯定するためには、殺意(故意)の検討が必要となる。甲は、Vの危険な状態を認識しながらも、Vの介護から解放されたいと思う一方で、長年連れ添ったVを失いたくないという複雑な気持ちを抱き、その間で感情が揺れ動いているので、結果の発生に対する認識・認容が必要とする認容説(判例)など自らの立場を明らかにしながら、具体的事例における当てはめを行うことになる。”(平成22年司法試験・出題の趣旨)。
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” 殺意を認定する場合には、その成立時期についても留意する必要がある。なぜなら、殺人罪が成立するには、殺意が肯定されることに加え、作為義務の発生時期、救命可能性が認められる時期(午後2時20分まで)との関係も踏まえ、これらがすべて満たされる必要があるからである。”(平成22年司法試験・出題の趣旨)。
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” 甲の殺意を検討するに当たり、甲がVの死を受け入れるかどうか迷っていたことをもって、安易に殺意を否定し、その後、甲がVに医療行為を施さずにその生死を運命にゆだねることにしたという点について、十分に検討していない答案(平成22年司法試験・採点実感)。
7⃣不作為の殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別
事案によっては、不作為の殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別が問題となることがあります。
殺人罪と保護責任者遺棄等罪の区別については、①作為義務と保護責任の内容で区別する見解と②殺意の有無で区別する見解とがあります。
①は、結果犯である殺人罪の作為義務と危険犯である保護責任者遺棄等罪の保護責任とではその内容が異なると解すべきであるとして、生命に対する危険が直接死亡に直結するものか、それとも比較的軽微なものにとどまるのかで両罪を区別しようとする見解です。
②は、保護責任者遺棄等致死罪(刑法219条)は「よって」という文言を用いている結果的加重犯であるから、殺意がある場合は含まれないとして、殺意の有無によって両罪を区別しようとする見解です(判例の立場)。
①の立場では、3⃣不真正不作為犯の実行行為性のところで、不作為の殺人罪と保護責任者遺棄致死罪との区別を論じることになり、②の立場では、6⃣殺人の故意のところで、両罪の区別を論じることになります。
<出題趣旨・採点実感>
” 不作為とする場合は、不作為による殺人罪又は保護責任者遺棄致死罪の成否が問題となる。両罪を区別する基準として、殺意の有無によるとする考え方、作為義務の程度によるとする考え方などがあるが、いずれの立場に立ったとしても、後述する殺意の有無など関連する事実を認定しつつ、事案への当てはめを行うことが求められる。”(平成22年司法試験・出題の趣旨)
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” 殺人未遂罪との区別の基準について、殺意の有無という主観面による判断要素や、重大な先行行為の有無、危険の程度といった客観面による判断要素を検討すべきであることを論じた上、本問において、殺人未遂罪の成立を否定する根拠を指摘する必要があった。”(平成30年司法試験・採点実感)。