高野 泰衡
加藤ゼミナール専任講師
合格率2%台の旧司法試験に合格
講師歴30年、短期合格者を多数輩出
入門講座を担当
「今度、司法試験予備校に行くけど、お前も一緒に来い」
その一言が、私の人生を変えました。
1987年の秋、私は25歳。都内の小さな企画会社で働いていました。学歴は写真専門の短大卒。法律なんて全く縁のない世界です。そんな私に、司法試験予備校の誘いをかけてきたのは、会社の先輩でした。
世の中は“バブル景気”で浮かれていて、マンションの投資や株で一攫千金という話があちこちで飛び交っていました。私の耳にも「儲け話」がちらほら入ってきましたが、何しろ元手がない。どこか他人事のように聞き流していた記憶があります。
それよりも気がかりだったのは、自分の現状でした。ディレクターという肩書きはあっても、企画書もうまく書けず、毎日手探りでこなしている自分に、どこか焦りのようなものを感じていたのです。
「このままでいいのか?」「何かスキルを身につけないと」そんな思いがありました。
そんな時に、先輩からのひと言。
「司法試験はな、論文試験が勝負なんだ。論理的にものを考え、文章を書くトレーニングになる。企画書もうまく書けるようになる」
法律の“ほ”の字も知らない自分には正直、司法試験なんて雲の上の存在で、到底届かない世界だと思っていましたが、先輩の言葉は妙に説得力があり、司法試験受験はともかく、「このままではいけない、何かをしなければ」という思いでいた私は、とりあえず勉強してみようと、カルチャーセンターに通うくらいの気持ちで、司法試験予備校の基礎講座に申し込みました。
それからの日々は、平日は会社勤め、日曜日は予備校で6時間のライブ授業。初めて耳にする法律用語に戸惑いながらも、なぜか講義には引き込まれていきました。
3ヶ月ほど経ったころでしょうか。私の中の“司法試験像”が大きく変わり始めました。
最初は、司法試験といえば“暗記勝負”だと思っていたし、正直「法律って、黒いものも白にできるような、なんだか胡散臭い世界」とさえ思っていたのです。でも、実際に学んでみると、司法試験は暗記勝負の試験ではなく、「いかに筋を通して矛盾なく論じられるか」が問われる、非常にロジカルな試験だということが分かってきました。
そして法律もまた、ただ冷たいルールの羅列ではなく、人々のさまざまな利益を調整し、ときに人間味さえ感じられる、奥深い世界だということに気づかされたのです。
「もしかしたら、自分にも勝負できるかもしれない」
気づけば、そう思うようになっていました。合格できるかどうかなんて分からない。でも、「本気でやってみよう」そう思えた瞬間があったのです。
それから4回のチャレンジで旧司法試験に合格することができました。
「今度、司法試験予備校に行くけど、お前も一緒に来い」
あのとき、もし首を横に振っていたら、今の自分はなかったでしょう。
ひょんなきっかけで人生は変わります。