加藤 喬
加藤ゼミナール代表・弁護士
青山学院大学法学部 卒業
慶應義塾大学法科大学院 修了
総合39位・労働法1位で司法試験合格
基本7科目・労働法・実務基礎科目の9科目を担当
刑訴法では、起訴状における「公訴事実」(256条2項2号)は「訴因を明示してこれを記載しなければなら」ず(同条3項前段)、「訴因」を明示するには「できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない」(同条3項後段)とあります。
例えば、起訴状において犯罪の「日時、場所及び方法」が概括的に記載されている場合には、256条3項の要請を満たさず、訴因の特定を欠くのではないかが問題となります。
検討の際には、「公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。」とする同条3項前段の要請と、「訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。」とする同条3項後段の要請の関係を明らかにする必要があります。
判例(白山丸事件・最大判昭和37年11月28日)は、「刑訴256条3項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定する所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法は、これらの事項が、犯罪を構成する要素になつている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。」(下線は筆者によるもの)と述べており、「犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情」を訴因の特定の要件に位置付けています。
これに対し、学説の多くは、訴因の特定(同条3項前段)と「できる限り」の要請(同条3項後段)とは異なる次元の要請であり、「できる限り」の要請は、審判対象の具体化・防御範囲の明確化をより一層高めるために、訴因の特定を満たしていても更に、「できる限り」犯罪の「日時、場所及び方法」をもって「罪となるべき事実」をより具体的に記載することを要求する趣旨であると理解しています。
この学説の立場からは、①まず訴因の特定を論じ、犯罪の「日時、場所及び方法」が概括的に記載されていることにより訴因の特定が否定されるかを検討し、②次に、訴因の特定を満たす場合には、犯罪の「日時、場所及び方法」が概括的に記載されていることにより、「できる限り」の要請を満たさないのではないかを別途検討することになります。
” 「特殊事情」がないのに訴因に概括的記載をした場合は、256条3項の「できる限り」との要請に反し、同項に違反することにはなるけれども、それによって訴因の不特定=公訴提起が無効となるわけではなく、上記(1)(2)の観点から訴因が特定していないと判断される場合に限り公訴提起が無効となるというべきだろう。…結局のところ、256条3項の趣旨は、審判対象のなお一層の具体化と、防御の範囲のより一層の明確化のために、訴因の特定のための必要最小限度の要求を超えた具体的な事実を「できる限り」の限定の下に要求しているものと解するほかないだろう。…このような理解を是とするときは、判例のいう(あるいは前提とする)「特殊事情」は、256条3項の「できる限り」の要請に違反しないために必要な要件であって、本来の意味での訴因特定のための要件ではないということになる…(これに対し、調査官は、「特殊事情の存在)を訴因の特定の要件とする…。”(古江賴隆「事例演習 刑事訴訟法」第3版247頁)
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” このように、幅のある記載が許容されるための要件として、訴因の特定の趣旨から導かれる基準を超えた「特殊事情」を要求する根拠は、訴因の特定について定めた刑訴法256条3項が、「できる限り」、日時、場所及び方法により罪となるべき事実を特定しなければならないとしていることに求められよう。つまり、同項は、審判対象自体は画定されているといえる場合であっても、公判において裁判所が実際に審理をし、被告人が防御を行うという観点からは、その対象ができる限り具体化されることが望ましいという考え方に基づいて定められたものであることになる。 “(川出敏裕「判例講座 刑事訴訟法」〔公訴提起・公判・裁判・上訴篇〕第2版52~53頁)
以上を前提として、覚せい剤自己使用罪の起訴状において、「被告人は、法定の除外事由がないのに、令和4年9月26日頃から同年10月3日までの間、広島県a郡b町内及びその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もって覚せい剤を使用したものである。」として、使用行為の「日時、場所及び方法」について概括的に記載されている事案を取り上げます。
(1)訴因の特定
まずは、①訴因の特定(256条3項前段)が問題となり、識別説を論証します。識別説からは、訴因の特定には、㋐被告人の行為が特定の犯罪構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる具体的事実の記載と㋑他の犯罪事実と区別できる程度の記載があれば足り、㋒被告人の防御権の行使に十分な程度な記載までは不要と解されます。識別説は、㋑の記載自体により被告人の防御範囲が示されるといえるし、被告人の防御権保障は起訴後の公判前整理手続・公判手続においても検討されるものだと考えるわけです。
覚せい剤自己使用罪において、上記㋐及び㋑を満たすためには、覚せい剤自己使用の「日時、場所及び方法」が具体的に記載されている必要があるのかが問題となります。
起訴状では、被告人が法定の除外事由がないのに覚せい剤を自己の身体に使用したという事実が記載されているため、被告人の行為が覚せい剤自己使用罪の構成要件に該当するかどうかを判定するに足りる程度の具体的事実の記載が認められます(㋐を満たす。)。
他方で、覚せい剤使用罪については、一回の使用行為ごとに一罪が成立し、複数回の使用は併合罪の関係にあると解されています。そして、尿の鑑定結果は必ずしも一回の使用行為に論理的に対応するものではなく、犯罪の性質上、覚せい剤自己使用行為は一定期間内に反復して複数回行われている可能性があるため、起訴状記載の「令和4年9月26日頃から同年10月3日まで」の一定期間内に、被告事件とされている使用行為とは別の使用行為が介在している可能性があります。そうすると、これらが包括一罪ではなく併合罪の関係に立ち、一回の使用行為ごとに他の使用行為との識別が問題となることから、日時・場所・方法に幅のある記載がされている起訴状では㋑を欠くようにも思えます。
もっとも、これについては、使用の日時・場所・方法が概括的に記載されている起訴状については、尿の提出時に最も近い最終の使用行為を起訴する趣旨である(最終行為説)、あるいは、被告人の尿の鑑定結果に対応する一定期間における少なくとも1回の使用行為を起訴する趣旨である(最低一回行為説)と解釈することができ、このように解釈することにより、起訴状において他の使用行為と区別できる程度の記載があると認められます(㋑を満たす)。なお、最終行為説も最低一回行為説も、使用行為の「日時、場所及び方法」が概括的に記載されている事案であっても訴因が特定されていると解釈するための方法に関する学説であるため、いずれの見解に立っても、訴因の特定が認められるとの結論については一致することになります。
したがって、㋐と㋑のいずれも満たすため、「罪となるべき事実を特定して」いるといえ、訴因の特定(256条3項前段)が認められることになります。
(2)「できる限り」の要請
そこで次に、②覚せい剤自己使用「日時、場所及び方法」について概括的に記載されていることから、256条3項後段の「できる限り」の要請との関係で、起訴状における訴因の記載が不適法となるのではないかを別途論じることになります。
学説の多くは、「日時、場所及び方法」は、それが犯罪を構成する要素になっている場合を除き、本来は、「罪となるべき事実」そのものではなく、訴因を特定するための一手段にすぎないから、これについて幅のある記載をしたことをもって直ちに訴因の特定に欠けることはならないとする一方で、256条3項後段は、審判対象の具体化・防御範囲の明確化をより高めるために、訴因の特定のために必要最低限の要求を超えた具体的事実を「できる限り」記載することを要請する趣旨の規定であると理解することにより、訴因の特定とは区別された256条3項に基づく「できる限り」の要請として、犯罪の種類、性質等の如何によりこれを詳らかにすることができない特殊事情がない場合には、日時・場所・方法をできる限り特定した記載をすることが必要であると解釈します。
覚せい剤使用罪では、秘密裏に行われる上、直接の被害者もいないため、使用の日時・場所・方法に関する目撃供述・客観的証拠を得られないことが多い。そうすると、覚せい剤使用罪では、その日時・場所・方法を詳らかにすることができない特殊事情があるといえます。
したがって、起訴状において使用の日時・場所・方法について訴因の特定にとって必要な記載をしている以上、「できる限り」の要請にも反しません。
起訴状において犯罪の「日時、場所及び方法」が概括的に記載されている事案に関する判例として、次の2つを紹介します。
いずれの判例においても、訴因の特定だけを問題にしており、判例でいう「犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情」は訴因の特定の要件に位置付けられています。
密入国事案 最大判昭和37年11月28日(白山丸事件)
事案:中国との国交がなかった時代に、被告人が中国へ密入国したとして起訴されたた事案において、起訴状では、公訴事実について「被告人は、昭和27年4月頃より同33年6月下旬までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦より本邦外の地域たる中国に出国したものである」と記載するにとどまり、犯罪の日時を表示するに6年余の期間内とし、場所を単に本邦よりとし、その方法につき具体的な表示をしていなかった。
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要旨:「しかし、刑訴256条3項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定する所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が、犯罪を構成する要素になつている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。
これを本件についてみるのに、検察官は、本件第一審第一回公判においての冒頭陳述において、証拠により証明すべき事実として、(一)昭和33年7月8日被告人は中国から白山丸に乗船し、同月13日本邦に帰国した事実、(二)同27年4月頃まで被告人は水俣市に居住していたが、その後所在が分らなくなつた事実及び(三)被告人は出国の証印を受けていなかつた事実を挙げており、これによれば検察官は、被告人が昭和27年4月頃までは本邦に在住していたが、その後所在不明となつてから、日時は詳らかでないが中国に向けて不法に出国し、引き続いて本邦外にあり、同33年7月8日白山丸に乗船して帰国したものであるとして、右不法出国の事実を起訴したものとみるべきである。そして、本件密出国のように、本邦をひそかに出国してわが国と未だ国交を回復せず、外交関係を維持していない国に赴いた場合は、その出国の具体的顛末ついてこれを確認することが極めて困難であつて、まさに上述の特殊事情のある場合に当るものというべく、たとえその出国の日時、場所及び方法を詳しく具体的に表示しなくても、起訴状及び右第一審第一回公判の冒頭陳述によつて本件公訴が裁判所に対し審判を求めようとする対象は、おのずから明らかであり、被告人の防禦の範囲もおのずから限定されているというべきであるから、被告人の防禦に実質的の障碍を与えるおそれはない。それゆえ、所論刑訴256条3項違反の主張は、採ることを得ない。」
出典:最高裁判所判例集
覚せい剤自己使用罪の事案 最一小決昭和56年4月25日
事案:被告人に対する覚せい剤自己使用罪の起訴状では、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和54年9月26日頃から同年10月3日までの間、広島県a郡b町内及びその周辺において、覚せい剤であるフェニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もって覚せい剤を使用したものである。」として、覚せい剤使用の日時、場所、方法について幅のある記載がされていた。
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要旨:「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和54年9月26日ころから同年10月3日までの間、広島県a郡b町内及びその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もつて覚せい剤を使用したものである。」との本件公訴事実の記載は、日時、場所の表示にある程度の幅があり、かつ、使用量、使用方法の表示にも明確を欠くところがあるとしても、検察官において起訴当時の証拠に基づきできる限り特定したものである以上、覚せい剤使用罪の訴因の特定に欠けるところはないというべきである。」
出典:最高裁判所判例集