割増賃金を労基法37条1項所定の計算方法によらずに一定額で支給する制度を「定額残業代」制度といいます。
定額残業代は、(1)基本給などの総賃金のなかに割増賃金部分を組み込んでいる基本給組込みタイプと、(2)基本給とは別に営業手当、役職手当など割増賃金に代わる手当等を定額で支給する別枠手当タイプに大別されます。
定額残業代制度による割増賃金の支払の可否については、労基法37条は同条所定の方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるとの理由から、①通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができ、かつ、②割増賃金に当たる部分が法定計算額以上である場合には、同条所定の計算方法によらずに一定額を支給することにより割増賃金を支払うこともできると解されています(高知県観光事件・最二小判平成6年6月13日等)。
①は、労基法37条適合性を判断する前提として割増賃金の計算を可能とするための要件であり、判別要件や判別性と呼ばれ、②は、具体的な支給額として労基法37条適合性を判定するための要件であり、割増賃金額要件や金額適格性と呼ばれるものです(水町勇一郎「詳解 労働法」第3版737頁、山川隆一「プラクティス労働法」第3版124頁)。
もっとも、近時の判例には、「使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要する」(国際自動車事件・最一小判令和2年3月30日)として、③対価性の有無が問題となったものが複数あります。
③対価性は、従来の要件である①・②から独立した要件ではなく、①の判別性の判断の前提に位置付けられる要件ですが、対価性が問題なく認められる事案では①対価性に明示的に言及する必要はないと考えられます。水町勇一郎「詳解 労働法」第3版737~738頁では、「判例は、通常の労働時間の賃金にあたる部分と割増賃金にあたる部分とを判別することができ(「判別」要件)、かつ、割増賃金にあたる部分が法定計算額以上でなければ(「割増賃金額」要件)、このような支払方法をとることはできないとの考え方を示している。…この法理の適用にあたっては、…対価性…が問題となり得る」とされています。国際自動車事件の重要判例解説(「令和2年度 最新重要判例解説」労働法4)でも、同事件の最高裁判決が対価性は判別性の要件であることを示したとして、②判別性は、㋐通常の労働時間の賃金に当たる部分と労基法37条の定める割増賃金に当たる部分とが明確に区分されていることと(「明確区分性」)、㋑明確に区分された労基法37条の定める割増賃金に当たる部分が労基法37条の定める時間外労働に対する対価としての性質を有していること(「対価性」)の2つの要件からなると整理されています。
そこで、定額残業代制度による割増賃金の支払の可否に関する論証は、③対価性が問題となる事案であるか否かにより書き分けるべきです。
(対価性が問題となる場合)
労基法37条は同条所定の方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるから、①使用者側が割増賃金として支払ったと主張している賃金部分が時間外労働等に対する対価として支払われるものといえることを前提として、②通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができ、かつ、③割増賃金に当たる部分が法定計算額以上である場合には、同条所定の計算方法によらずに一定額を支給することにより割増賃金を支払うこともできると解する。①は、②の判断の前提として問題となる要件であり、㋐当該労働契約に係る契約書等の記載内容、㋑使用者の説明及び㋒実際の勤務状況などを考慮して判断される。
(対価性が問題とならない場合)
労基法37条は同条所定の方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるから、①通常の労働時間の賃金に当たる部分と割増賃金に当たる部分とを判別することができ、かつ、②割増賃金に当たる部分が法定計算額以上である場合には、同条所定の計算方法によらずに一定額を支給することにより割増賃金を支払うこともできると解する。①は、労基法37条適合性を判断する前提として割増賃金の計算を可能とするための要件であり、②は、具体的な支給額として労基法37条適合性を判定するための要件である。
対価性を欠く場合には、判別性を欠くことになるから、当該手当も割増賃金の算定基礎(労基法37条1項でいう「通常の労働時間又は労働日の賃金」)に取り込まれることになります。その結果、割増賃金の算定基礎が当該手当を含んだ金額になるとともに、当該手当による割増賃金の既支払額はゼロ円になります。
対価性が問題となった重要判例としては、日本ケミカル事件(最一小判平成30年7月19日)と国際自動車事件(最一小判令和2年3月30日)を挙げることができます。以下では、各判例の事案と判旨を取り上げます。
対価性が問題となる事案や対価性の当てはめのポイントを知るために、一読しておきましょう。
日本ケミカル事件 最一小判平成30年7月19日
事案
Xは、Yの運営する薬局で薬剤師として勤務する労働者であり、(1)XY間の本件雇用契約に係る契約書には、賃金について「月額562,500円(残業手当含む)」「給与明細書表示(月額給与461,500円 業務手当101,000円)」との記載、(2)本件雇用契約に係る採用条件確認書には「月額給与 461,500」、「業務手当 101,000 みなし時間外手当」「時間外勤務手当の取扱い 収に見込み残業代を含む」「時間外手当は、みなし残業時間を超えた場合はこの限りではない」との記載、(3)Yの賃金規程には「業務手当は、一賃金支払い期において時間外労働があったものとみなして、時間手当の代わりとして支給する。」との記載、(4)YとX以外の各従業員との間で作成された確認書には、業務手当月額として確定金額の記載及び「業務手当は、固定時間外労働賃金(時間外労働30時間分)として毎月支給します。一賃金計算期間における時間外労働がその時間に満たない場合であっても全額支給します。」等の記載がそれぞれあった。
Yは、タイムカードを用いて従業員の労働時間を管理していたが、タイムカードに打刻されるのは出勤時刻と退勤時刻のみであった。Xは、平成25年2月3日以降は、休憩時間に30分間業務に従事していたが、これについてはタイムカードによる管理がされていなかった。また、YがXに交付した毎月の給与支給明細書には、時間外労働時間や時給単価を記載する欄があったが、これらの欄はほぼ全ての月において空欄であった。
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要旨
「3 原審は、上記事実関係等の下において、要旨次のとおり判断して、Xの賃金及び付加金の請求を一部認容した。
(1)いわゆる定額残業代の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことができるのは、定額残業代を上回る金額の時間外手当が法律上発生した場合にその事実を労働者が認識して直ちに支払を請求することができる仕組み(発生していない場合にはそのことを労働者が認識することができる仕組み)が備わっており、これらの仕組みが雇用主により誠実に実行されているほか、基本給と定額残業代の金額のバランスが適切であり、その他法定の時間外手当の不払や長時間労働による健康状態の悪化など労働者の福祉を損なう出来事の温床となる要因がない場合に限られる。
(2)本件では、業務手当が何時間分の時間外手当に当たるのかがXに伝えられておらず、休憩時間中の労働時間を管理し、調査する仕組みがないためYがXの時間外労働の合計時間を測定することができないこと等から、業務手当を上回る時間外手当が発生しているか否かをXが認識することができないものであり、業務手当の支払を法定の時間外手当の全部又は一部の支払とみなすことはできない。
4 しかしながら、原審の上記判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。
(1)労働基準法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される…。また、割増賃金の算定方法は、同条並びに政令及び厚生労働省令の関係規定(以下、これらの規定を「労働基準法37条等」という。)に具体的に定められているところ、同条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものと解され、労働者に支払われる基本給や諸手当にあらかじめ含めることにより割増賃金を支払うという方法自体が直ちに同条に反するものではなく(前掲最高裁第二小法廷判決参照)、使用者は、労働者に対し、雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより、同条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができる。
そして、雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。しかし、労働基準法37条や他の労働関係法令が、当該手当の支払によって割増賃金の全部又は一部を支払ったものといえるために、前記3(1)のとおり原審が判示するような事情が認められることを必須のものとしているとは解されない。
(2)前記事実関係等によれば、本件雇用契約に係る契約書及び採用条件確認書並びにYの賃金規程において、月々支払われる所定賃金のうち業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたというのである。また、YとX以外の各従業員との間で作成された確認書にも、業務手当が時間外労働に対する対価として支払われる旨が記載されていたというのであるから、Yの賃金体系においては、業務手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものと位置付けられていたということができる。さらに、Xに支払われた業務手当は、1か月当たりの平均所定労働時間(157.3時間)を基に算定すると、約28時間分の時間外労働に対する割増賃金に相当するものであり、Xの実際の時間外労働等の状況…と大きくかい離するものではない。これらによれば、Xに支払われた業務手当は、本件雇用契約において、時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていたと認められるから、上記業務手当の支払をもって、Xの時間外労働等に対する賃金の支払とみることができる。原審が摘示するXによる労働時間の管理状況等の事情は、以上の判断を妨げるものではない。
したがって、上記業務手当の支払によりXに対して労働基準法37条の割増賃金が支払われたということができないとした原審の判断には、割増賃金に関する法令の解釈適用を誤った違法がある。」
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解説
本判決は、客観的な実態に基づいて判断されるべき強行法規である労基法37条の解釈として、労働者の主観的認識や抽象性の高い要件を取り込んでいた原審判決を軌道修正し、最高裁として、定額残業代の時間外労働等に対する対価性について、㋐契約書への記載や使用者の説明等に基づく労働契約上の対価としての位置づけ、及び㋑実際の勤務状況に照らした手当と実態のとの関連性・近接性を考慮する判断枠組みを提示したものということができる。この判断枠組みによれば、契約書への記載や使用者の説明が不十分である場合には契約上の対価としての位置づけ(㋐)を欠くとして、また、手当の性質や額が時間外労働等の実態と乖離している場合には実態との関連性・近接性(㋑)を欠くとして、対価性が否定されることになる(水町勇一郎「詳解 労働法」第3版738~739頁)。
国際自動車事件 最一小判令和2年3月30日
事案
Xらは、Yに雇用されタクシー乗務員として勤務していた労働者であり、歩合給(1)の計算に当たり売上高(揚高)等の一定割合に相当する金額から残業手当等に相当する金額を控除する旨を定めるYの賃金規則上の定めが無効であるから、Yは控除された残業手当等に相当する金額の賃金の支払義務を負うと主張して、Yに対し、未払賃金等の支払を求めて訴えを提起した。
上記定めの下では、揚高が同じであれば、時間外労働、休日労働及び深夜労働(以下「時間外労働等」という。)の有無やその時間数の多寡にかかわらず、原則として総賃金の額は同じとなることから、上記定めの効力や、上記残業手当等の支払により労働基準法37条の定める割増賃金が支払われたといえるかが争われている。
なお、歩合給(1)の算定に当たり、対象額Aから割増金及び交通費相当額を控除した金額がマイナスになる場合には、歩合給(1)は0円とされており、実際に、Xらに支払われた賃金について、対象額Aから上記の控除をした金額がマイナスになり、歩合給(1)の支給額が0円とされたこともあった。
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要旨
「(1)ア 労働基準法37条が時間外労働等について割増賃金を支払うべきことを使用者に義務付けているのは、使用者に割増賃金を支払わせることによって、時間外労働等を抑制し、もって労働時間に関する同法の規定を遵守させるとともに、労働者への補償を行おうとする趣旨によるものであると解される…。また、割増賃金の算定方法は、労働基準法37条等に具体的に定められているが、労働基準法37条は、労働基準法37条等に定められた方法により算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを義務付けるにとどまるものと解され、使用者が、労働契約に基づき、労働基準法37条等に定められた方法以外の方法により算定される手当を時間外労働等に対する対価として支払うこと自体が直ちに同条に反するものではない…。
イ 他方において、使用者が労働者に対して労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったとすることができるか否かを判断するためには、割増賃金として支払われた金額が、通常の労働時間の賃金に相当する部分の金額を基礎として、労働基準法37条等に定められた方法により算定した割増賃金の額を下回らないか否かを検討することになるところ、その前提として、労働契約における賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と同条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することができることが必要である…。そして使用者が、労働契約に基づく特定の手当を支払うことにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったと主張している場合において、上記の判別をすることができるというためには、当該手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされていることを要するところ、当該手当がそのような趣旨で支払われるものとされているか否かは、当該労働契約に係る契約書等の記載内容のほか諸般の事情を考慮して判断すべきであり…、その判断に際しては当該手当の名称や算定方法だけでなく、上記アで説示した同条の趣旨を踏まえ、当該労働契約の定める賃金体系全体における当該手当の位置付け等にも留意して検討しなければならないというべきである。
(2)ア Yは、Xらが行った時間外労働等に対する対価として、本件賃金規則に基づく割増金(深夜手当、残業手当及び公出手当)を支払い、これにより労働基準法37条の定める割増賃金を支払ったものであると主張する。そこで、前記(1)で説示したところを前提として、上記主張の当否について検討する。
…割増金は、深夜労働、残業及び休日労働の各時間数に応じて支払われることとされる一方で、その金額は、通常の労働時間の賃金である歩合給(1)の算定に当たり対象額Aから控除される数額としても用いられる。対象額Aは、揚高に応じて算出されるものであるところ、この揚高を得るに当たり、タクシー乗務員が時間外労働等を全くしなかった場合には、対象額Aから交通費相当額を控除した額の全部が歩合給(1)となるが、時間外労働等をした場合には、その時間数に応じて割増金が発生し、その一方で、この割増金の額と同じ金額が対象額Aから控除されて、歩合給(1)が減額されることとなる。そして、時間外労働等の時間数が多くなれば、割増金の額が増え、対象額Aから控除される金額が大きくなる結果として歩合給(1)は0円となることもあり、この場合には、対象額Aから交通費相当額を控除した額の全部が割増金となるというのである。
本件賃金規則の定める各賃金項目のうち歩合給(1)…に係る部分は、出来高払制の賃金、すなわち、揚高に一定の比率を乗ずることなどにより、揚高から一定の経費や使用者の留保分に相当する額を差し引いたものを労働者に分配する賃金であると解されるところ、割増金が時間外労働等に対する対価として支払われるものであるとすれば、割増金の額がそのまま歩合給(1)の減額につながるという上記の仕組みは、当該揚高を得るに当たり生ずる割増賃金をその経費とみた上で、その全額をタクシー乗務員に負担させているに等しいものであって、前記(1)アで説示した労働基準法37条の趣旨に沿うものとはいい難い。また、割増金の額が大きくなり歩合給(1)が0円となる場合には、出来高払制の賃金部分について、割増金のみが支払われることとなるところ、この場合における割増金を時間外労働等に対する対価とみるとすれば、出来高払制の賃金部分につき通常の労働時間の賃金に当たる部分はなく、全てが割増賃金であることとなるが、これは、法定の労働時間を超えた労働に対する割増分として支払われるという労働基準法37条の定める割増賃金の本質から逸脱したものといわざるを得ない。
イ 結局、本件賃金規則の定める上記の仕組みは、その実質において、出来高払制の下で元来は歩合給(1)として支払うことが予定されている賃金を、時間外労働等がある場合には、その一部につき名目のみを割増金に置き換えて支払うこととするものというべきである…。そうすると、本件賃金規則における割増金は、その一部に時間外労働等に対する対価として支払われるものが含まれているとしても、通常の労働時間の賃金である歩合給(1)として支払われるべき部分を相当程度含んでいるものと解さざるを得ない。そして、割増金として支払われる賃金のうちどの部分が時間外労働等に対する対価に当たるかは明らかでないから、本件賃金規則における賃金の定めにつき、通常の労働時間の賃金に当たる部分と労働基準法37条の定める割増賃金に当たる部分とを判別することはできないこととなる。
したがって、YのXらに対する割増金の支払により、労働基準法37条の定める割増賃金が支払われたということはできない。
ウ そうすると、本件においては、上記のとおり対象額Aから控除された割増金は、割増賃金に当たらず、通常の労働時間の賃金に当たるものとして、労働基準法37条等に定められた方法によりXらに支払われるべき割増賃金の額を算定すべきである。」
定額残業代制度による割増賃金の支払の可否は、平成20年司法試験第1問と令和2年司法試験第1問に出題されている重要論点です。
労働法では最新重要判例からの出題が多いことも踏まえると、今後、司法試験と予備試験のいずれにおいても、定額残業代制度による割増賃金の支払の可否について対価性要件を正面から問う出題がなされる可能性が高いです。
今後の出題に備えてしっかりと学習しておきましょう。
執筆者
加藤 喬 加藤ゼミナール代表・弁護士
青山学院大学法学部 卒業
慶應義塾大学法科大学院 修了
総合39位・労働法1位で司法試験合格
基本7科目・労働法・実務基礎科目の9科目を担当