本件では、那覇市(以下「市」という。)市長が市の管理する都市公園内に儒教の祖である孔子等を祀る久米至聖廟(以下「本件施設」といい、その敷地を「本件土地」という。)を設置することを本件施設の設置・所有者である一般社団法人(被告側に訴訟参加しているため、以下「参加人」という。)に許可し、これに基づき市が本件土地を本件施設の敷地としての有償利用に供しているという事案において、設置許可及びこれに基づく利用提供行為のそれぞれについて、政教分離規定(憲法20条1項後段、3項、89条。以下「政教分離規定」という。)に違反するかが問題となりました。
政教分離原則違反は、国家と宗教とのかかわり合いの有無→そのかかわり合いが相当とされる限度を超えるものか否かという二段階審査により判断されるものであり、二段階目の審査に関する判断枠組みとして、従来の目的効果基準と新しい総合衡量型の判断枠組みとがあります。
両者の関係について、空知太神社最高裁大法廷判決が出た当時は、係争行為に宗教性と世俗性とが同居しておりその優劣が微妙である事案では目的効果基準を用い、係争行為が世俗的意義を有するものではなく宗教的行為であることが明らかである事案では総合衡量型の判断枠組みを用いるとする理解が有力でした(空知太神社事件における藤田宙靖裁判官の補足意見も同旨。)。
もっとも、令和3年3月24日の孔子廟訴訟判決では、係争行為に宗教性と世俗性とが同居しておりその優劣が微妙であると思われる事案であるにもかかわらず、総合衡量型の判断枠組みが用いられており、本判決を契機として目的効果基準と総合衡量型の判断枠組みの関係についての従来の理解が変わる可能性があると考えられています(この点については、学者の先生方の解説を待たざるを得ないかと思います。)。
今回の令和7年3月13日判決は、孔子廟訴訟と同種の事案において、総合衡量型の判断枠組みを用いた上で、①「本件施設は、一体として宗教性を有するものといえ、その程度も軽微とはいえない」(本件施設の宗教的性格)と述べる一方で、②「本件施設は、…歴史的、文化的価値や、…公園施設としての機能と相まって、観光資源としての意義を有するものということができる。」として本件施設は世俗的性格も併有していることを認めた上で、③「本件施設は、公園施設として管理され、一般公衆の利用に供されているものといえる。」、④「市は、本件施設の歴史的、文化的価値、さらにはこれらを背景とする観光資源としての意義に着目し、本件公園の都市公園としての機能を増進し、地域の振興やまちづくりの実現等を図るという世俗的、公共的な目的から、本件施設に係る各公園施設設置許可をしてきたものというべきであり、その目的が宗教的意義を有するものとはいえない。」(係争行為のうち本件設置許可の目的の世俗性・公共性)、⑤「本件設置許可は、これにより参加人において本件土地に宗教性を有する本件施設を設置し、そこで宗教的活動を行うことが可能となるという側面があるとしても、同活動に係る特定の宗教に対する特別の便益の提供に当たるものとは評価し難いというべきである。」(係争行為のうち本件設置許可の態様)、⑥「本件設置許可については、これと併せて公園使用料の全額を免除する使用料免除処分がされているものの、同処分は令和3年大法廷判決を受けて取り消され、その後、参加人により公園使用料が順次納付されている。したがって、市が本件設置許可に基づき本件土地を本件施設の敷地としての利用に供していることについても、上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供するものと評価することはできない。」(係争行為のうち利用提供行為の態様)との理由から、「これまで説示したところによれば、本件施設の宗教性やその程度を考慮しても、市長が本件設置許可をし、これに基づき市が本件土地を本件施設の敷地としての利用に供していることは、一般人の目からみて、市が本件施設における参加人の活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されるおそれがあるものとはいえないというべきである。」と述べ、本件設置許可及びこれに基づく利用提供行為のいずれについても政教分離原則違反を否定しました。
なお、令和3年3月24日の孔子廟訴訟判決では、総合衡量型の判断枠組みを抽象論として示した上で、総合衡量の当てはめに入っているが、令和7年3月17日判決では、抽象論を示すことなくいきなり総合衡量型の当てはめに入っている。
最高裁判所判例集 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93901
(事案)
那覇市(以下「市」という。)は、都市公園法2条1項1号所定の都市公園として、市内の久米地域に松山公園(以下「本件公園」という。)を設置し、これを管理している。本件施設は、本件公園内の国公有地上に設置された、儒教の祖である孔子やその4人の門弟である四配等を祀る廟である。
本件施設の建物等の所有者である参加人は、本件施設、道教の神等を祀る天尊廟及び航海安全の守護神を祀る天妃宮の公開、久米三十六姓(約600年前から約300年間にわたり、現在の中国福建省又はその周辺地域から琉球に渡来してきた人々)の歴史研究、論語を中心とする東洋文化の普及等を目的とする一般社団法人であり、定款上、上記目的が明記されるとともに、その正会員の資格が久米三十六姓の末えいに限定されている。
本件施設は、大成殿、啓聖祠、明倫堂・図書館、至聖門、御路、御庭空間等によって構成され、その占用面積は1335㎡である。本件施設の出入口に当たる至聖門には三つの扉があり、参加人の説明によれば、孔子の霊のためのものとされている中央の扉は、1年に1度、後記エの釋奠祭禮の日にのみ開かれ、孔子の霊は、至聖門を通過して御路(御庭空間の中央を至聖門から大成殿に向かって伸びる通路)を進み、大成殿へ上るとされている。また、本件施設では、平成25年以降、毎年、孔子の生誕の日とされる9月28日に、供物を並べて孔子の霊を迎え、上香、祝文奉読等をした後に、これを送り返すという内容の行事である釋奠祭禮が行われている。参加人においては、釋奠祭禮の挙行がその事業として定款上明記されるとともに、久米三十六姓の末えい以外の者がこれを行うことについては許容することができないとされている。
他方で、本件施設は、拝観時間が午前9時から午後5時まで、拝観料は無料であり、その敷地(本件土地)については、至聖門、明倫堂・図書館、フェンス等によって本件公園の他の部分から仕切られているものの、上記拝観時間内は一般市民が自由に出入りできる状態にある。また、参加人は、明倫堂において、参加人の会員及び一般市民を対象として、歴史、文化等に関する教養講座を開催しているほか、明倫堂の講堂及び展示場は参加人の定めた利用規程に従い一般市民の利用に供されている。
市長は、参加人の申請に基づき、平成23年3月31日付けで、本件施設が都市公園法施行令5条5項1号所定の体験学習施設に該当するものとして、本件施設に係る公園施設設置許可(設置の期間は許可の日から平成26年3月31日まで)をするとともに、上記期間における公園使用料の全額を免除する使用料免除処分をした。参加人は、平成25年4月30日までに本件施設の新築工事を完了した。
上記期間の満了に伴い、市長は、参加人の申請に基づき、平成26年3月28日付けで、本件施設に係る公園施設設置許可(設置の期間は同年4月1日から平成29年3月31日まで)をするとともに、上記期間における公園使用料の全額を免除する使用料免除処分をした。市長は、その後も、参加人の申請に基づき、おおむね3年ごとに本件施設に係る公園施設設置許可をするとともに、公園使用料の全額を免除する使用料免除処分をした。また、これらの公園施設設置許可に係る設置の期間は、本件公園の管理上支障がない限り、更新が予定されていた。原審口頭弁論終結時における本件施設の設置は、これらのうち、令和2年4月1日付けでされた公園施設設置許可(設置の期間は同日から令和5年3月31日まで。以下「本件設置許可」という。)に基づくものである。
市長は、令和3年3月24日の孔子廟訴訟判決(以下「令和3年大法廷判決」という。)が、市長が平成26年3月28日付けでした上記ウの使用料免除処分が憲法20条3項の禁止する宗教的活動に該当すると判断したことを受け、参加人に対し、令和3年5月28日付けで、上記の各使用料免除処分をいずれも取り消し、それまでに発生していた公園使用料について納入の通知をした。これに対し、参加人は、上記公園使用料の全額を市に納付し、その後も、公園使用料を順次市に納付した。
ある住民は、市長が市の管理する都市公園内に本件施設を設置することを許可したことと(以下、その敷地を「本件土地」という。)、これに基づき市が本件土地を本件施設の敷地としての利用に供していることは憲法上の政教分離規定(憲法20条1項後段、3項、89条)に違反し、参加人に対し本件施設の収去及び本件土地の明渡しを請求しないことが違法に財産の管理を怠るものであるなどとして、被上告人市長を相手に、地方自治法242条の2第1項3号に基づき、上記の怠る事実の違法確認を求めるとともに、被上告人市を相手に、同項2号に基づき、市長が参加人に対してした本件施設の一部に係る固定資産税の減免処分の無効確認を求めた。
(判旨)
「1⑴ 前記事実関係等によれば、本件施設は、その外観等に照らして、神体又は本尊に対する参拝を受け入れる社寺との類似性がある上、本件施設で行われる釋奠祭禮は、孔子の霊の存在を前提として、これを崇め奉るという宗教的意義を有する儀式というほかなく、本件施設の建物等も、このような宗教的意義を有する儀式である釋奠祭禮を実施するという目的に従って配置されたものということができる。さらに、本件施設の設置に至る経緯等からすれば、本件施設は当初の至聖廟等及び旧至聖廟等の宗教性を引き継ぐものといえる。これらからすれば、本件施設は、一体として宗教性を有するものといえ、その程度も軽微とはいえない(令和3年大法廷判決参照)。
⑵ もっとも、本件施設は、かつて琉球王国の繁栄を支えた久米三十六姓が17世紀以降に建立した当初の至聖廟等を、そのゆかりの地である久米地域に再建したものといえ、地域の歴史や文化を伝えるものとして、一定の歴史的、文化的価値を有するものということができる。加えて、本件施設は、市の公式ガイドマップに掲載されるなどして現に観光客が訪れており、上記の歴史的、文化的価値や、後記の公園施設としての機能と相まって、観光資源としての意義を有するものということができる。
また、本件施設を設置する参加人は、本件施設、天尊廟等の公開及び釋奠祭禮の挙行のみならず、久米三十六姓の歴史研究や論語を中心とする東洋文化の普及等をもその定款上の目的ないし事業とする一般社団法人であるところ、本件施設は、都市公園法施行令5条5項1号所定の体験学習施設としてその設置が許可されたものであり、拝観時間内については無償で公開されている上、明倫堂においては、一般市民をも対象とした歴史、文化等に関する教養講座が開催されているほか、その講堂及び展示場は市民の利用に供されているのであって、本件施設は、公園施設として管理され、一般公衆の利用に供されているものといえる。
2 本件設置許可に至る経緯をみると、市は、本件施設の設置を含めた本件公園の整備について検討を重ね、その際、本件施設の設置について憲法上の政教分離原則との関係で一定の懸念が示されたものの、最終的には、当初の至聖廟等及び旧至聖廟等の歴史や性格に照らし、大成殿及び明倫堂は、体験学習施設ないし歴史上又は学術上価値の高いものとして、公園施設と位置付けることができると整理したものである。これらに加え、上記1⑵で説示したところも考慮すると、市は、本件施設の歴史的、文化的価値、さらにはこれらを背景とする観光資源としての意義に着
目し、本件公園の都市公園としての機能を増進し、地域の振興やまちづくりの実現等を図るという世俗的、公共的な目的から、本件施設に係る各公園施設設置許可をしてきたものというべきであり、その目的が宗教的意義を有するものとはいえない。
3 また、公園条例上、公園施設設置許可を受けた者は、市に対し、占用面積1㎡につき1か月360円の使用料を納付しなければならないものとされているから、本件設置許可は、その相手方である参加人に、年間576万7200円(占用面積1335㎡×360円×12か月)の公園使用料の納付義務を生じさせるものである。このように、本件設置許可を受けた参加人において、本件施設を利用した活動を行うためには、相応の使用料を負担しなければならないこととなるのであって、その額も、公園条例の規定に基づき一義的に定まるものである。そうすると、本件設置許可は、これにより参加人において本件土地に宗教性を有する本件施設を設置し、そこで宗教的活動を行うことが可能となるという側面があるとしても、同活動に係る特定の宗教に対する特別の便益の提供に当たるものとは評価し難いというべきである。
さらに、本件設置許可については、これと併せて公園使用料の全額を免除する使用料免除処分がされているものの、同処分は令和3年大法廷判決を受けて取り消され、その後、参加人により公園使用料が順次納付されている。したがって、市が本件設置許可に基づき本件土地を本件施設の敷地としての利用に供していることについても、上記活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供するものと評価することはできない。
4 そして、これまで説示したところによれば、本件施設の宗教性やその程度を考慮しても、市長が本件設置許可をし、これに基づき市が本件土地を本件施設の敷地としての利用に供していることは、一般人の目からみて、市が本件施設における参加人の活動に係る特定の宗教に対して特別の便益を提供し、これを援助していると評価されるおそれがあるものとはいえないというべきである。
5 以上のような諸事情を考慮し、社会通念に照らして総合的に判断すると、市長が本件設置許可をし、これに基づき市が本件土地を本件施設の敷地としての利用に供していることは、市と宗教との関わり合いの程度が、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法上の政教分離原則及びそれに基づく政教分離規定に違反するものではないと解するのが相当である。
以上の点は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日判決・民集31巻4号533頁、最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日判決・民集51巻4号1673頁、最高裁平成19年(行ツ)第260号同22年1月20日判決・民集64巻1号1頁、令和3年大法廷判決)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の点に関する原審の判断は、以上の趣旨をいうものとして、是認することができる。論旨は採用することができない。」
最高裁判所判例集 https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=93901